【ペルー旅行記2014】② 出国~リマ~クスコ(10/4~10/5)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

<前回記事はこちら>

もう7年前(2014年)のこと。南米・ペルーを旅しました。どこにも行けない2021年の夏、今さらですが旅行記を綴ります。

■いよいよ出国!まずはUSAへ!

2014年10月4日、朝。

生まれて初めての海外旅行(出張を除く)。
そのスタートを前に、なんともいえない緊張と高揚感を胸にぼくは成田空港・第1ターミナルにいた。

フライトは夕方だったんだけどやたら早く出発してしまって、成田空港に着いたのはお昼前。同行者2名は旅慣れてて、もちろんそんなに早くやってこない。空港のベンチでそわそわしながら、何度もパスポートとチケットを眺めていた。

ところでこれが今回の旅の全荷物。
使い古した(なんと中学生のころから使っている20年もの)80Lクラスのバックパック。重さはだいたい20kgくらい。(※カメラが外にぶら下がってるのは、当然日本国内だけ仕様)

同行の女子2人(職場の先輩、Aさん&Kさん)はもちろんこんなバックパックではなくて、でっかいスーツケースで現れた。スミマセン、1人だけ放浪者みたいな恰好で、、、

そうこうするうちに搭乗手続きの時間。
カウンターで大きな荷物を預けて身軽になったところで、ベタですが「しばらく日本食とお別れだね~~」なんてことを言いながら、空港内のうどん屋さんでランチ。

そのまま出国審査を受け、出発ロビー内の売店でこまごました買い物(機内でのおやつとかお茶とか)を済ませると、あっという間に搭乗時間に。

ところで、日本からペルーまでは直行便が飛んでいない。
一旦、米国(ヒューストン or ダラス)を経由してペルーの首都・リマ(ホルヘチャベス空港)へ飛ぶ必要がある。

今回、我々が選んだのはユナイテッド航空のヒューストン経由ルート。

座席はもちろんエコノミークラス。隣は体格のいい欧米人。文字通り「肩身の狭い」姿勢のまま、約12時間の空の旅。(女子2人は自分より先にフライトを確保していたので別の席。「両手に花」などただの幻想)

ヒューストン空港に着いたのは現地時間のお昼過ぎ。
生まれて初めて日付変更線をまたいだ。12時間以上も飛行機に乗ってたのに、まだ同じ10月4日なんだって。変なの~~。(海外旅行ビギナー丸出しの感想)

■ヒューストン ⇒ リマ。いよいよ南米大陸へ!

米国・ヒューストン空港でトランジット。

こんなに長い時間のフライトは初めてで(船旅なら24時間とか48時間とかあるのに)、時差ボケなんだか寝不足なんだかよく分からんけど頭がぼんやりする。ボケっとした頭のまま手荷物検査を済ませ、ペルーの首都・リマ行きの飛行機に乗り換える。

成田⇒ヒューストンまでは日本人がちらほら乗ってたけど、ここからはほとんど日本人の姿は見かけなくなった。構内アナウンスも機内アナウンスもすべて英語かスペイン語(当然だが)。

いよいよ海外に来たんだなって感じなんだけど、乗換時間が2時間弱しかなくて、緊張している暇すらなかった。バタバタと次の機内へ。

リマに向かうUA機。
海外の空港で無防備にカメラぶら下げて歩いてていいのかよく分からなくて、ここまで撮った写真はほぼこの1枚だけ。この後もペルーに着くまで「写真やや少なめ」でお送りします。

ヒューストン ⇒ リマまでは約6時間半。こんどはほぼまっすぐ南へ飛ぶので、時差ボケしなくていいですね(その代わり赤道を越えるので季節が逆転するのだが)。

リマ・ホルヘチャベス空港に着いたのは夜の22時過ぎ。なんだかもう疲れたよパトラッシュ状態になりながら、飛行機を降りて入国審査(イミグレ)を受ける。

南米はほぼスペイン語圏(ブラジルのみポルトガル語)なんだけど、入国審査はさすがに英語対応してくれて助かった。観光客丸出しのカタコト英語でどうにか質問に答え、晴れてペルーに入国!!

と、イミグレのゲート外で待っていても女子2人がなかなかやってこない。
もしや女スパイにでも間違えられたか……?とかニヤニヤしていると、数分遅れで2人が現れた。

どうやらイミグレの係員に「Heyジャパニーズガール!日本はいいとこかい?Mt.Fujiを見たことあるかい?ペルーの山も悪くないぜ!楽しんでいってくれよ!」みたいな感じでめっちゃ話しかけられて(ナンパされて)いたらしい。
さすが……ラテンだなぁ。。。(自分はめっちゃ事務的な質疑応答でサクッと終わった)

さて。
イミグレを無事に通過し、預けていた手荷物を回収したら時刻はもう深夜。こんな夜中に慣れない南米の地でフラフラしていたら、完全に死亡フラグ。

というわけで、リマ在住のTさん(Kさんの学生時代の先輩)のはからいで、空港までは送迎をお願いしていたのでした。日本語は喋れないけどめっちゃ気のいいドライバーの運転で、リマ市内のT先輩宅までひとっ走り!

ペルーの首都・リマは人口1,000万人以上が住む大都市だ。車窓から眺める夜のリマの街並みも驚くほど都会的で……なんてことを考える余裕もなく、20数時間の長旅の末、ようやくT先輩の自宅へ!(そしてそのまま就寝……)

■リマ ⇒ クスコ。ここからはいよいよ自力での旅。

翌10月5日。
T先輩宅で目覚め、簡単な朝食を済ませるとまずは荷物整理。そう、この日の午後にはもう別の街へと旅立つ予定なのだった。
そしてT先輩はリマ市内で働いているので、当然我々の旅には同行しない。ここからは正真正銘、南米ビギナー3人組のおっかなびっくり珍道中となる。

いちおう、先に簡単に旅程を説明しておくと、
「リマ ⇒ クスコ ⇒ オリャンタイタンボ ⇒ マチュピチュ ⇒ クスコ ⇒ チチカカ湖 ⇒ リマ」。このリマ市内のT先輩宅に戻って来るのは5日後の予定。

道中で使わない荷物はT先輩宅に置かせていただくことにして、少々身軽になったところで再び、昨日降り立ったばかりのリマ・ホルヘチャベス空港へ!

前日は真夜中だったので空港の中はほとんど見ていない。改めて空港の中を探検しつつ、まずは腹ごしらえをしなければ。

いかにも海外!という感じのアイスクリーム。胃もたれしそうだったのでこれはやめて、アップルパイみたいなモノを食べました。(高山病予防には「腹八分目」がいいそうで……)

まず目指すのは、リマから南東へ約580kmの都市・クスコ。
マチュピチュやアンデスの山々への玄関口でもあり、インカ時代の古都でもあるクスコまでは、ペルーの国内便・LAN航空で約1時間半。

もちろん生まれて初めて乗るLAN航空。

これから向かうクスコはアンデス山脈の中にあって、標高は約3,400m。かたや首都のリマは海沿いの街なので、標高はほぼほぼ0m。つまり例えるなら、東京から富士山の山頂に近い高さまで飛行機で一気に移動するようなわけで、たいていの観光客はここで高山病に見舞われるのだとか。(実際、リマでスナック菓子を買ってクスコまで持っていくと、気圧差でパンパンに膨らんでしまう)

高山病をおそれた我々が採用したのは「クスコ後回し作戦」。
移動初日はクスコに留まらず、すぐに標高がやや低いオリャンタイタンボ(標高:約2,800m)に移動し、そこからマチュピチュ(標高:約2,400m)を回った後、徐々に高山に慣れた体で改めてクスコ観光をしよう、というもの。

この方法は旅行ガイドにも載っていて、現地在住のT先輩もオススメしてくれた。一方、日本で手配できるパックツアーはほとんどが最初にクスコに1泊する旅程ばかりで、これも「パックツアーは使わない」大きな理由なのだった。
(オリャンタイタンボが田舎町すぎて、当時は日本の旅行会社はほとんど提携してなかったんだと思う。今回改めてネットで調べたらオリャンタイタンボのホテル情報が結構出てくるので、今はまた違うのかも。)

そしてそんな高山病への不安を抱えつつ、到着したクスコ空港がこちら!!

なるほど確かに、空港の周りはぐるっと360度、高い山々がそびえたつ。
そして本当に「空気が薄い」。なんていうか、呼吸をしても酸素が全身に行き渡らない感じ。

その代わり空気が澄んでいて、そして空が綺麗。綺麗というか「空が近い」。手を伸ばしたら雲が掴めそうな錯覚にとらわれる、抜け感のある青空。

とはいえ高山病のことを考えると、長居は無用。
ここから一路、約60㎞先の小さな町「オリャンタイタンボ」を目指します!

しかしその序盤でまさかあんな事件に遭遇するとは、このときは3人とも思っていないのであった……。(次回「いきなり白タク事件」編へ!)

【続きはこちら】

7年前のペルー旅行・2日目。アンデスの小さな町・オリャンタイタンボへ……向かうまでのタクシー騒動。
スポンサーリンク
写真素材のピクスタ

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

Copyrighted Image