■年度末ですから。
仕事のため1年間住んだ東京から、1年前まで住んでいた仙台に戻ります。
こう見えてまぁ社畜なので、個人のブログで仕事の話はあんまり公にできないのだけれど、実は今回の東京転勤は「1年間限定」という前提でした。
だからなのかなぁ。
土日休日はめいっぱいプライベートを満喫した。関東圏のどこの水族館に行くのも、あるいはどこかに遠征するのも、「この1年を逃したら往復4時間&2万円よけいにかかるんだぞ!(東京⇔仙台往復の新幹線自由席)」って自分に言い聞かせて、とにかく自分なりに水族館を遊び尽くした。
この「あと一歩」が、今までなんとなく踏み出せずにいたんですよねぇ。
■4月から、やりたいこと。
仙台に戻ったら、今度はちょっと腰を据えて、仙台という地から魚のことや水族館のことを考え続けたい。とりあえず地元民として、仙台うみの杜水族館とアクアテラス錦ケ丘には足しげく通おうと思っている。
「1か所の水族館に足しげく通う」というのは、今までもずっとやりたい、やらなきゃと思っていて、なかなか「あと一歩」が踏み出せなかったことなのです。
水族館が好きで、魚たちと出会いたくて、全国あちこちの水族館に行く。ひとつひとつの水族館に、できるだけ長時間滞在したいと思ってる。でも、その水族館でぼくが過ごした半日なり1日は、そこで日々を生きている魚たちにとってはほんの一瞬で、ぼくの人生とその魚の「魚生」は、ごくごく断片的にしかクロスしないまま終わるのだ。
目の前でキラキラと泳いでいる1匹の魚が、明日には死んでしまうかもしれない。あるいは新しい命を育むのかもしれない。でもぼくはきっと(その魚が有名な個体かレアな生体でニュースにでもならない限り)そんなことも知らないままなんだ。そうしてきっと数年後にまたその水族館を訪れて、偉そうにあーだこーだと感想を述べるのだ。
それが、なんだか違和感だったんです。
■あえて、3月11日に。
少し話は変わりますが、今日は3月11日。8年前のあの日も、ぼくは東北にいました。
少しだけ考える、あの大災害と水族館との話。
水族館というのは、極論してしまえば、必ずしもぼくたちの生活に必要な施設ではありません。 一方で、電力供給が不可欠で、海辺に立地していることの多い施設です。
東北の、特に太平洋側の水族館が、あの日から8年間どんな変遷を遂げてきたか。
ある場所は電力が止まり。
ある場所は津波が直撃し。
ある場所は閉館し。
ある場所は新しくオープンし。
ある場所では、預かった生命が新たな生命を繋ぎ。
ある場所では、応援の気持ちが見る人を楽しませ。
それほど回数は通えていないけれど、東北のあちこちの水族館を近からず遠からずな距離で見続け、応援し続けてきたつもりです。
この春からは、毎週……は無理かもしれないけどせめて最低でも毎月、「おらが町」の水族館に通おう。そうして、魚たちや「水族館」という場所そのものと、「点」ではなく「線」でお付き合いしてみよう。
今度はそんなことを考えています。よろしくお願いいたします。