「撮るべきか撮らざるべきか?」、みたいなコト。

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ぼくがこれまで、水族館で魚を撮影するにあたってなんとなく心がけていたこと。

それは、

「奇形の個体や器官(ヒレ、目、ヒゲetc)に欠損のある個体や、体形に歪みのある個体はなるべく撮影しない」

ということ。

(やっぱり、ヒレをピンッと張った一瞬ってめちゃくちゃカッコいいですよねぇ。婚姻色の出たオイカワの雄。しながわ水族館にて。)

その理由は、3つほどあります。

■理由1:それが、その魚の「本来の姿」だと思ってほしくないから。

これがいちばん、理由としては大きいです。
たとえば「ゾウ」を知らない人にどんな動物か説明するなら、長い鼻と大きな耳が写っている写真を見せるでしょ、って話です。

自分のブログやTwitterの影響力なんて大したことないと思うものの、それでも稀にぼくの投稿を見て「~~水族館に行ってみたくなりました」とか、「~~を見てみたいと思いました」というコメントをいただくことがあります。(これは率直に、本当に嬉しいです)

そういうことを考えると、できればその魚らしい形質をきちんと兼ね備えた姿をお見せしたい、という気持ちが強いです。

たとえばニジマスやヤマメって、養殖個体だと往々にしてヒレが擦り減ったように丸まっていたり、特に胸鰭が欠損してしまうことが多いのですよね……。
(おそらく養殖の際に、仲間同士でかじりあってしまうのではないかと想像しています)

こういう個体を撮るべきか撮らざるべきか。撮ったとして、「これがヤマメです!」と公開するのは違う気がするのです。(どこで撮ったかは一応伏せておきます)

胸鰭の欠損以外は体形も健康的で、いい色も出ていて、いいなぁと思うんですけれどね。

■理由2:そういった個体の写真だけがひとり歩きするのが嫌だから。

これはちょっと、考えすぎかなと思う部分もあるのですが、それでもやっぱりネット社会の怖いところで、なにげなくSNSに投稿した水族館写真に「こんな劣悪な環境で飼育されて!かわいそう!」というような反応をされたことが、ほんのわずか(たぶん、せいぜい1回か2回ですが)あります。

思想や感性は人それぞれですので、ぼくが「素晴らしい」と思う水槽展示を見て「かわいそう」と思う方がいることは仕方のないことだと思います。水族館や動物園という施設そのものに対して、そもそもネガティブな考えを持っている人も一定数いらっしゃるのが実態です。
「見た人がどうとらえるか」にまで関与できないというのが、撮影者としての限界なのかな、と感じてしまうこともあります。

それでも、「水族館や生き物の魅力を伝えたい!」というのが、ぼくが水族館で写真撮影をするいちばんの原動力ですので、意図していない受け止め方をされるような表現は、できるだけ回避したいな、というのが正直なところです。
水族館が好きだから写真を撮っているのに、自分が撮った写真が発端でお気に入りの水族館が叩かれたら、やっぱりちょっと悲しいじゃないですか。

だからといって極端に「イイトコ撮り」して綺麗な個体だけ選り抜くのも、一種の偏向報道というか、偏った情報発信なのかもしれないですけれど。

たとえば100匹魚がいたらそのうち30匹は奇形かボロボロの痩せ痩せで白点まみれ、みたいな水族館がもしあったとすれば、それはそういう実態をしっかり伝えるべきだとは思います。

(某所で撮影したサバの群れに、1匹だけ肌荒れを起こした個体が混じっていた。この個体をクローズアップするのは、ちょっと違うかなぁ……と思うのです。他の個体は健康そうだし。)

■理由3:単純にぼく自身が、そういった(奇形や歪みのある)個体が好みではないから。

まぁ、大多数の人がそうだと思うんですけれど、やっぱり健康的な個体のほうが魅力的ですよね。

「綺麗な魚の写真を撮る」ことのコツの何割かは「自分好みの個体を探し出す」ことなんじゃないかな、と思ったりもします。

ときどき、その「目利き」を誤ることもありますけどね……。

(メバルってやっぱりこの大きな目がチャームポイントだよなぁ!と思いつつ、なんか変だなと思ってよくよく観察していたら、眼球の中にガスが溜まっていた。元気そうではあったけれど)

「見てください!この大きな瞳の輝き!これこそがメバルの魅力!」的にSNSに垂れ流さなくて、本当に良かった。

■と、ここまでが前段です(笑)

いやはや、長いマクラだ。ここからが本題。

そんな「奇形や欠損、歪みのある個体はなるべく撮影しない」というポリシーと矛盾する気持ちがふつふつとこみ上げてきたのが、先日閉館した東京タワー水族館の魚たちとの遭遇。

2018年9月30日。東京タワーの1Fフロアにある観賞魚専門水族館・東京タワー水族館が、40年の歴史に幕を閉じました。

片側の鰓蓋が欠損したポスト・フィッシュ。
他の子と一緒になってビュンビュン泳いでいました。

背骨曲がりのスネークヘッド(コブラかな)。
ぼくの記憶の限り、おそらく、少なくとも10年以上は飼育され続けているはず。

ピラニア・ピラヤ。こいつも古株で、20年選手くらいでしょうかね。顔面のボコボコ具合を「貫禄」ととるか、「気持ち悪い」ととるか。(いわゆる「穴あき病」なのかな、とも思いつつ、この状態で何年も長生きしているという事実。)

言わずと知れた「TTAの顔」的存在・グリーンモレイ。
「目が白濁してる!」とよく言われるんだけど、少なくとも10年くらい前からこの状態で、痩せることもなく飼育され続けていた。(手元に2002年に撮られた写真があるのだけれど、そのころから既に目は白くなっていました)

顔の変形したワラゴ・レイリー。

■「醜く体形の崩れた魚」か、「大切にされ続けた魚」か。

・スネークヘッドは、ヘビのようにウネウネとした体形の魚ではない
・ピラニアは、ボコボコの肌の恐ろしい魚ではない
・ワラゴは確かに口が裂けてるけど、元々曲がってるわけじゃない

それは当然、そう。

だからこそ、ぼくはこれまで、彼ら(顔や体形が変形してしまった個体)をなるべく撮影しないでおりました(撮影したとしても、WEB等で公開したことはほとんどなかったはず)。

それは冒頭に書いた3つの理由があるから。
そこに触れないで綺麗な写真ばかり取り上げるのは、一種「偏向報道」的なのかもしれない。そう思いつつ、僕の撮った写真のせいで「東京タワー水族館って、こんな奇形の魚を展示してるんだ、可哀想!」などと叩かれるのが忍びない。そんな葛藤はいつも感じていたように感じます。

(ちなみに、「あー、この子たちも顔が曲がっちゃってるー!」と言われがちなナイフフィッシュたち。こいつらの場合は、もともとこういう体形ですね 笑)

そんな葛藤から少し解放されたように思えたのは、魚譜画家・長嶋祐成さんの個展「Days In a Tank」にお邪魔した時でした。(長嶋さんブログ:http://blog.uonofu.com/solo-exhibition_oct2018_thanks/

すり減ったひれ。老いとともに曲がった背中。あるいは、まるまると肥えて張りつめた胴。
けっして規模が大きいとは言えないその水族館で、魚たち個々の姿が生々しく物語るのは、かれらが大切に飼われてきた日々と、そこに愛を注いできた人々の思いだった。

魚と人に流れた時間−−ありったけの敬意のアンテナを伸ばして、それをつかみたい。(出典:http://blog.uonofu.com/solo-exhibition_oct2018/

そういう捉え方もあるのだなぁ、と感じました。

ほとんどの魚の寿命は人間より短くて、10年、20年という年月は魚たちにとってはすごく長い時間なのだと思います。ぼくらが水族館に遊びに行って、せいぜい丸1日くらい館内で過ごして魚たちと向き合ったとして、それは彼らの生きる時間とごくごく断面的にしかクロスしていないんだろうな、と改めて感じました。

魚たち1匹1匹に、これまで生きてきた歴史があって、水族館の場合はそんな彼らの生活を支えてきた人々の存在や、魚たちへの想いもあるわけですよね。

「体形の崩れた魚は展示すべきでない」という方針であれば、スレたりヒネてしまった個体は展示水槽から取り除かれ、場合によってはそのまま寿命を終えてしまうかもしれない。その結果「綺麗な体形の魚たち」ばかりが泳ぐ水槽が仮にあったとして、それは果たして「魚たちを大切に管理している」ことになるのだろうか??

もちろん、「広々した水槽で体形に歪みが出ないように飼育すべき」というのがド正論なんだけど。自分自身、冒頭に書いた通り基本的には、ヒレがピンと伸びて体形にも歪みのない個体が好みだし、なるべくそういう魚を撮りたいな、と思うのだけれど。

難しいです。自分の中で、明快な答えはまだ出ていない。

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