【再録】魚日記「震災のときのこと。」(2011年5月~6月執筆)

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今日で震災から9年目の3月11日。

当時のことを書いた文章が古いブログに眠っていたので、ちょっとこっちに転載しておきます。(文章はなるべくそのまま、当時の写真をちょっとだけ足しました)

当時もぼくは仙台市内の、海からは比較的離れた場所に住んでいて、だからぼくは「被災者」ではなかったと思っています。個人的なことでいえば結婚することになったのも震災がきっかけだったりもするので、いま思えば当時の自分に「なに被害者ぶった文章を綴ってんだよ」と、かるく怒りも覚えるのですが。
あのときは自分なりに「大好きな趣味を奪われる」ということに対していっぱいいっぱいだったんだろうなぁ。

あと、いま読み返すと文章が若いですね。(当時はまだギリギリ20代だった)

(震災当時のぼくの部屋。6畳1Kのアパートに水槽を置けるだけ置いてた)

■【魚日記】震災のときのこと①(記:2011年5月12日)

(ずっと前にmixiに友達限定で書いた日記だけど、
ふと、そろそろBLOGで公開してもいいかなと思えたので、転載してみる。)

3.11から二ヶ月経ちましたね。
まずは、震災・津波で亡くなられた方に、本当に心よりお悔やみ申し上げます。

人命とは比較にならないことは分かっているけれど、
この2ヶ月の、僕の魚日記を書きます。

3月11日。
地震があって、俺は出張で青森にいて、
自宅に戻ったのが深夜1時すぎ。
停電で真っ暗な中、アパートの部屋に入って、
ライトなんて持ってなかったから、
携帯の灯りとライターで水槽を照らしてみて、
とりあえず、水槽も割れてないし、
泳いでいる魚がちゃんといることを確認。

保温とか、何かしてやりたいと思ったけど、
暗いし床中いろんなものが散らかってるし、何も出来ず退散。

(当時の水槽①。75cm水槽ではボティア・ローチの類をメインに、中層にはラスボラを泳がせて東南アジア産の魚で固めてた)

3月12日。
車で寝て、目覚めて、部屋に戻った。
寒い日だったなぁ。車の中で、寒さで目覚めたもん。
はっきりいって、部屋に入るまで、この時点で全滅を覚悟してた。

部屋に入って、まだ薄暗い中、水槽を覗く。
水温は15度くらいだったかな。
みんな、水槽の下のほうでじっとしてた。
テトラ(そういえばレッドファントム、数日前に買ったばかりだった。。。)とかは既に、ひっくり返ってかろうじて動いてた。
時々、狂ったように突進する魚がいた。

正直、心が折れかけた。
何をしていいのか分からなかった。
いっそそのまま放置して逃げちゃおうかと思った。

けど、
もしかしたら、すぐに電気が戻るかもしれないし、
目の前でなんとか生きている魚たちを見たら、
やれるだけのことはしようと思った。

台所にあった一番大きい鍋に水槽の水を汲んで、
キャンプ用のガスコンロでお湯を沸かして、水槽に戻した。
できるだけ温度が保たれるように、一番大きい水槽に魚をまとめた。
お湯のおかげで水温が23度くらいまでは上がって、魚たちが少し元気に泳ぎだした。
水槽の周りを断熱マットでぐるぐる巻きにして、祈るように部屋を後にした。

(ラスボラ・カウディマキュラータ。こいつらも震災の1週間前に買ってきたばかりだった)

3月13日。
夕方、部屋に戻った。
(注:震災後数日間、職場の先輩の家に転がり込んでいた)

部屋の空気からして冷たくて、
そっと水槽のガラスを触ったらもっと冷たくて、
水槽の中を見なくてもだいたいどうなってるかは想像がついた。
バケツを持ってきて、枯れた水草を全部入れて、
それから死んだ魚をすくっていった。

それでも、何匹か生きてるのがいて、
そいつらを小さめの水槽に移して、またお湯を沸かして入れた。

そのあと、夜になって電気が戻って、
コウタイ1匹と、コリドラス2匹、パキスタンローチ1匹、アジアンバンジョー2匹が生き残った。

(当時の水槽②。60cmワイド水槽をコリドラス天国にしてた。ワチャワチャ可愛くて、見ていて楽しかったなー。)

■【魚日記】震災のときのこと② (記:2011年5月24日)

そんなわけでほとんどの魚が死んでしまって、
空っぽになった水槽が4本残った。

同時に、なんかこう大げさに言うと、自分の中身も空っぽになってしまった。

物心ついたころ(小学校あがってすぐ)からずっと、20年くらい魚を飼っていて、
中学から生物部に入ってからは、学校でも自宅でも魚を飼う生活で、
文化祭で、生き物をただ飼うだけじゃなくて人様に見てもらうという、
飼育係的な「展示することの楽しさ」に目覚めて。

ばくぜんと、「魚が好き」=水産学部、っていうだけの意識で大学に進学して。
一人暮らしのもとでも水槽は手放せなくって。
大学を留年してしまったのを機に、まる1年、
小さい頃からの憧れだった水族館の飼育係という仕事を(バイトだけど)経験して。
そこからまた、学生に戻って、今度は魚が研究対象になって。

そうやってずっと一緒だったから、
魚がいない生活ってのはずいぶん不思議だった。
不思議と悲しくはなくて、ただ不思議だった。

もともと、長年魚を飼っている中で、今回みたいな「地震→停電」という事態はうすうす想定していたし、そうなったら諦めるしかないだろうなと思っていた。

それと。
社会人になって、魚とも水産ともまったく関係のない世界で働き出してまる2年。
魚を飼うということが、自分にとって仕事でも研究でもなんでもないということが、はっきりしてきていた時期だった。
日々、仕事から帰ってきて無気力に水槽に餌だけ投げ込んで、
月に一回くらい思い出したように水換えをする。
そういう惰性のスパイラルにうすうす嫌気がさしていた。
自分がなんで魚を飼っているのか分からないし、
魚を飼うことが楽しいのかすら分からなくなっていた。
地震が起こる前から、そんなことを考えてときどき悶々とする日々だった。

そんなところに地震がやってきて、熱帯魚に関してはほとんど全てが無になった。
空っぽになった水槽を眺めてもちろんショックで、受け容れがたい気持ちもあったけど、
それ以上に何かから解放されたような、重荷を下ろしたような気分でもあった。

未だに、あのときそういう感情になってしまった自分はアクアリスト失格だと思う。
けれど、当時の自分は「俺は魚を飼うことが好きなんだ」という
見えない鎖で自分自身を縛っていたんだと思う。

狭い部屋の、水槽を置いていた空間が空になったら、そこに何を置こうか。
今まで、水槽掃除に充てていた休日の時間を、何に使おうか。
「魚を飼っていない自分」はいったい次に何を始めるのか、
そんなことを想像してみた。

そんなわけで、電気も水道も復活した自分の部屋で、
俺は空っぽになった水槽を全部処分してしまおうと決意したのです。

(学生時代の友人が「飼いきれなくなったから」と預けてくれたゴールデン・エンゼル。ごめん、この子も震災で死なせてしまった……。)

■【魚日記】震災のときのこと③(記:2011年6月28日)

すっげぇ前に書いた日記の続き。

4月16日。
愛車に水槽を積み込んで東京の実家へGO。

水槽は、60cmワイド、75cm、40cm水槽×2本etc…
後部座席とトランクがほぼ水槽で埋まった……。

捨ててしまっても良かったんだけど、まだまだ使える水槽だし、大きさも自分の飼育スタイルにちょうどいい水槽だったので、手放すのは惜しかった。
絶対に、いつかまた再始動しようって思っていたし。

あとは、残った小さい水槽をmixi経由で人に譲ったり、
余ってしまった流木とかをごっそり捨てたり……。

震災が収まって、部屋の電気が戻って、生き残っていた魚は
・コリドラス・パレアトゥス×2
・アジアンミニバンジョー×2
・パキスタンローチ×1
・コウタイ×1
の6匹。

けどすぐにパキスタンローチが死に、アジアンミニバンジョーも姿が見えなくなり、コリドラスは一度まさかの産卵をするという奇跡を起こすも2匹とも死に……。
やはりあの低水温は酷だったか……。

今では45cm水槽にコウタイが1匹で泳いでいて、60cm水槽は水草(ミクロソリウム)だけが入った水槽になっている。

足しげく通っていた熱帯魚屋にも、久しく行っていない。
東京に行っても、でかい熱帯魚屋に行く気がしない。

でも、震災後にけっこう水族館に行った(小樽、マリンピア日本海、新江ノ島)。
そして思った。
やっぱ魚っていいわーって。

最近ちょっと色々落ち着いてきたので(地震とは関係ないのだが、なんか色々忙しかったのだ)、ちょいちょい昔のアクア雑誌読んだりして、次に何を飼おうか妄想したりしている。

水槽の数を大幅に減らしてしまったので、
今までみたいに無節操に色々手を出せない。

いま、コウタイを単独飼育で大切に飼っているみたいに、
お気に入りの魚をほんの数匹だけ、大事に大事に飼ってやろうかな。

2018年4月19日、「飼育」の日。 2007年2月から飼い続けてきたコウタイが、天国へ旅立った。

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今回改めて古いブログから昔の文章を引っ張り出してきて、当時のことを少し思い出しました。世間の一般的な「3月11日の受け止め方」とはまた少し違うんだろうけれど、いままた新型コロナウイルスの影響とかで「自分の趣味や生きがい」みたいなことを一時的に奪われてしまっている人がたくさんいるんだろうな。そんなことにもちょっと思いを馳せました。

今年の3月11日は本当は「東北に戻ってきて、東北の水族館を巡ってみた」みたいなことを書こうと思っていたんだけど。あと数館、まだ行けていないところがあるのです。(新型コロナのせいってことにしておこう)
このネタは、来年に回します。すみません。

年度末の3月11日に、水族館について考えたこと。あと、4月からのこと。
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