■東京湾から、船に揺られて。
現在、2018年12月29日、午前11時過ぎ。
竹芝桟橋を出発した「おがさわら丸」の二等和室船室で、このブログを更新しております。
小笠原へ行くのは、実に13~14年ぶり。
実はこれまでに小笠原には4回行っていて、今回が5回目の渡航になります。これまで4回ともすべて学生の頃で、まさか、社会人になって小笠原に行けるとは思ってなかったなぁ。
■5行で説明!小笠原ってこんな場所!
・東京からほぼまっすぐ南に約1,000㎞。(沖縄本島とだいたい同緯度)
・空港はないので原則的に船でしか行けない(「おがさわら丸」で片道24時間)
・一度も他の陸地と繋がったことのない「海洋島」。
・そのため固有種がたくさんいる。一方で外来種もたくさんいる。
・春はザトウクジラの繁殖地、初夏はアオウミガメの産卵地。そしてアオウミガメは現地では食料。
そんなところでしょうか。(ぼくの独断と偏見ではあるけれど。)
固有の植物群だったり、戦跡スポットでもあったり、夜は天体観測にも適していたり、海だけでなく山歩きをする人にも興味深いポイントが多いです。
10代~20代のころに小笠原に足を運んだ記憶を、いま、ちょっと振り返っています。
■小笠原との出会い。(1996年3月)
1回目は、中学1年の3月。
当時入部していた、中・高の生物部の春合宿だった。いま考えればとんでもない無謀な旅行な気もするけど(なにしろ、顧問の先生にも引率されず中学生・高校生だけ10人弱で10日間も離島にいたのだ)、生まれて初めてこの目で見た亜熱帯の海や魚や自然は、今でも忘れない。
野生のクジラを見たのも、サンゴ礁を見たのも、みんなあのときが初めてだった。
それで大興奮して帰ってきて、2年後には家族旅行で父島を再訪した。このときも3月のザトウクジラの時期で、短い滞在期間だったけどホエール・ウォッチングを満喫した。
■大学時代の運命を分けた?「小笠原への夢」。
3回目は、大学の海洋実習で。おがさわら丸ではなく、学部の持つ研究船で北海道から1週間かけて父島まで航海し、2日ちょっとだけ滞在してまた船で帰るという過酷(?)な実習だった。
少しだけ、どうでもいいむかし話。
ぼくがいた大学の水産学部には当時、2年次に分属される学科が4つあって、そのうち実習で小笠原に行けるのはぼくが配属された「水産海洋科学科」(通称:「水産海洋」)のみ。本当はこれとは別に「生物生産科学科」(通称:「生物生産」)というのがあって、この方が海洋生物のことをより専門的に学べるのだ。
大学1年次の終わり。配布された配属希望表を前に、学生食堂でぼくは悩んでいた。海や魚が大好きで水産系の大学に進学したものの、根っから理数系に弱く高校時代は文系クラスにいたぼくのこと、教養課程での数学・物理系の科目は散々な成績だった。おまけにフマジメな好奇心旺盛な性格はその頃からで、札幌市内でW杯の試合があるといっては授業をサボって観戦しに行き、サークルの合宿を理由に落第した科目の補講を欠席するような、典型的な劣等生だったのだ。(ぼくが留年するかどうかが、友人内での賭けの対象になったりしていた)
学科への分属は、非情にも成績順である。
水産学部に進学してくるような学生は基本的に生き物好きが多いから、生物のことを専門的に学べる「生物生産」学科は例年、大人気だった。一方で、生物・化学・物理の領域にまたがりより幅広い視野で海洋学を学ぶ「水産海洋」学科は、まぁまぁ中堅どころ、というところ。
当時いちばん人気がないのは、「水産システム」学科だった。水産経済や船舶の構造なんかを学ぶ、「生き物」とは最も縁遠い学科だ(いま思えばこれはこれで面白そうだけど)。
※ちなみに、残る一つの学科は「水産資源化学」学科で、ここは食品とか医薬品に関連するいわゆるバイオテクノロジー系の学科。比較的、女子に人気が高かった。
うーむ。
マニアックな海洋生物系の科目だけは断トツの「優」が並び、数学だとか物理だとか化学といった基礎科目は「可」もしくは「不可」だらけ、とりあえず授業に出てさえいれば単位の取れる語学系の科目ですらも「良」と「可」の入り混じる極端に偏った成績表を眺めながら、ぼくは悩んでいた。
(思い切って初心通り、「生物生産」を第一希望にしようか……いや、しかし漏れたら下手したら「システム」送りだぞ……。「水産海洋」学科だってけっこう人気みたいだし……。自分の成績だったらこれだってギリギリってとこか……。)
学生食堂で、食べ終わった「カレーL」の食器を眺めながら割と本気で半日ほど悩んで、最終的に出した結論は「実習で小笠原に行けるから、水産海洋学科に行く!」だった。
ちなみにこの学科だけは3年次にもう一度コース分属があって、下手をするとそこで「物理海洋学コース」に配属されて微分積分や物理学やプログラミングと格闘しながら海流だとか気象の勉強をする危険性もあったんだけど、当時のぼくはそんなリスクよりも「大学の授業で堂々と小笠原に行ける!」という魅力にすっかりとらわれていた。
(その後、ぼくは何とか「生物海洋学コース」に配属されて海のプランクトンの研究をすることになるんだけど、「物理海洋学Ⅱ」という大学1年次の基礎単位を4年連続で落とし、卒業間際で留年が決定する。もしも「物理海洋コース」に配属されていたら、と思うと、今でもゾッとする。)
そんなこんなで、幸運と妥協とほんの少しの努力で勝ち取った「海洋実習で小笠原行き」のチケット。船内での1週間の過酷な労働(研究者や大学院生も乗船する研究船では、学部生の地位なんて最下層である。まぁ、基本的に現場大好きなタイプだったんで、船内もめっちゃ楽しかったんだけど。)の末にたどり着いた父島は、やっぱりパラダイスだった。
父島での2日半の停泊期間中もいちおう「実習期間」なので、学生には島内での生物観察やレポート提出が課せられる。40数人のクラスメイトのなかにはシーカヤックや海水浴を楽しむ友人もいたけれど、ぼくは水中メガネ片手に、ひたすら魚を探し回った。
その結果、ぼくの班の実習レポートだけはほぼ「アルさんのお魚日記」状態になり……引率の教授の先生からも「お前は本当に魚が好きなんだなぁ」と半ば呆れられつつ……最優秀レポート賞として「小笠原ラム酒ひと瓶」をGETしたのだった。(後年、この教授に結婚式のスピーチを頼んだら10数年前のこのエピソードが語られて、そりゃあ嬉しかったです。)
※そもそも「これが人生3回目の小笠原です!」なんてヤツはクラスメイトの中でもぼくだけだったから、魚がたくさんいる場所をみんなよりよく知っていた、って裏事情もあるんだけど。
■人生初の彼女も放置して。1カ月の「島民」生活!
それからさらに1年少々が過ぎたある冬の日。
学部の先輩から、なんと「小笠原に1か月行けるんだけど、誰か行かないか?」というとんでもないお誘いが!
よくよく話を聞くと、これはどうも現地にある小笠原海洋センターでの調査研究補助という名目で、現地までの交通費と現地での食費・生活費は自腹、ただし宿泊費はタダでセンター内の宿泊施設に泊まってよし!というものだった。(同じサークルに所属する先輩も何人か過去に体験していて、そのツテで募集がかかったのだ。)
調査対象はアオウミガメとザトウクジラらしく、そして募集時期は3月、ザトウクジラのシーズン。これはつまり、どうにかして父島まで行ってしまえば約1か月間、クジラ見放題ウミガメ見放題のパラダイスを意味する!
そんなオイシイ話、乘らない訳がないでしょう!ぼくはその日からさっそく短期のアルバイトを探し、正月返上で「郵便局で年賀状を仕分けるアルバイト」に従事し、どうにかして往復の旅費+αを工面した。(基本的に怠惰な性格だったので、普段アルバイトなんかせず遊び呆けていたのだ。もちろん、貯金なんかなかった)
ただ一つ、この小笠原行きには障壁があった。当時のぼくには生意気にも、大学3年次にして人生初の彼女ができたばかりで、しかも遠距離恋愛だったのだ。
大学生の春休み。そしてできたばかりの、遠距離の彼女。常識的に考えれば、期間限定の半同棲状態で青春を謳歌してもいい状況だ。けれど、1カ月も小笠原に滞在するなんて、このチャンスを逃したら生涯二度とないかもしれない。
ぼくは悩んだ。学科分属を決めるときと同じくらい悩んだ。そして意を決して「おまえも大事だ。だけど、それと同じくらい小笠原行きも大事だ」ということを彼女に告げることにした。
ところで当時のぼくの彼女はこれまたぶっとんだ人物で、春休みや夏休みのたびに自転車にキャンプ道具を積んで日本中を走り回るという不思議な生態の持ち主だった。(ぼくも彼女も同じサークルで自転車ツーリングをしていたのだけれど、自転車の走行距離メーターが3倍くらい違っていてがっくり凹んだことがあった)
「恋は盲目」とはよく言ったもの。当時のぼくは浮かれていて、相手がそんなぶっとんだ人物だということをすっかり忘れていた。
「あ、あのさ……話があるんだけどさ……。
春休み、小笠原に1カ月行きたいんだけど、いいかなぁ……?」
「あっそー。行って来れば!あたしは今回は沖縄を走ってくるから!」
!!!
予想を195°くらい斜めに上回る回答!!!
当時、ぼくがまだ異性や恋愛に過度な幻想を抱いていたことは認める。当時のぼくが期待していたのは「えー!ダメだよ行かないで!」もしくは「だったら私も一緒に行きたい!」あるいは「それより、もっと違う場所に一緒に旅行に行こうよ?」という返事だった。
……っていうか、沖縄に行くなんて話、オレいっこも聞いてないぞ???
※「どうせ同じ南の島なら、沖縄じゃなくて小笠原でもいいじゃないか」というぼくのささやかな反抗は、「小笠原なんてすぐ走り尽くしちゃいそうだし、それに沖縄なら、本島を走り終わったら他の離島に渡ったり、台湾まで行ったりできるでしょ。」というひと言で却下された。
そんなこんなで幸か不幸か、ぼくの小笠原行きを拒むものは何もなくなった。
そして当日。JR浜松町駅にて。
「じゃー、あたし羽田から飛行機だからー!」
と、自転車を抱えて手を振る彼女を振り返りつつ、ぼくは「おがさわら丸」の待つ竹芝桟橋へと向かったのだった……。
あ、海洋センターでのボランティアですか?楽しかったですよ。クジラもウミガメも見放題でした。途中で謎の高熱と腹痛で1週間寝込んだりもしたけれど、それがなければもっと楽しかったでしょうね。
(このボランティア期間中、ときどき近くの防波堤で遥か西のほうを眺めながら「あぁ……彼女は今ごろ沖縄本島かな……」とかこっそり黄昏ていたことは、いままで誰にも言わなかった秘密です)
■これから約1週間、小笠原旅行日記を更新予定です!
ということで(そのうち東京湾を出るので電波が途切れます)これから数日間、つかの間の小笠原生活をエンジョイしてまいります!
いちおう、現地では海メインでだいたい何して遊ぶかは決めているんだけど、この年末の大寒波で父島も寒いらしく、ちょっと心配。(まずおが丸が揺れないか心配。。。)
なるべく毎日このブログで現地レポートできればと思います。ああーーー!楽しみだ!!!
(続く!)