サカナ遍歴

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■気がつけば、サカナ好き。

子どもの頃から、魚が好きだった。

実家から出てきた、たぶん小学1年生くらいのぼくが描いた絵がこれ。

(トゲチョウチョウウオとブリとウミガメと…陸上にはトビハゼも。)

生まれ育ちが東京都内だったので、普段あまり海や川に行くことができず、子ども向けの魚図鑑や科学読みものを読んではこんな絵を描いていた、インドアな子どもでした。

「このままでは、インドア魚オタクになってしまう…!」と、部屋にこもり魚に異常な興味を示す我が子を見て両親は思ったのだろうか。夏休みごとに、南伊豆の海に連れて行ってくれました。
生まれて初めて船酔いを経験したカジキ漁船。ずっと忘れません。

■普段だって、魚と一緒にいたい!

真夏の南伊豆の海。
海に入ればイシダイの子どもやスズメダイが群れていて、釣り糸を垂らせばアジやイワシがいくらでも釣れました。そこはまさに「お魚天国」。

でもそれは同時に、自分にとっては夏休みの数日だけの、非日常の世界。

東京の自宅に戻っても、あのワクワクが忘れられません。親に何度もねだって、ついに玄関に水槽を置いてもらうことになりました。

(最初に飼育したのは、金魚すくいで手に入れた金魚。ベタですね^^;)

小学校の6年間はずっと「生き物係」。
理科の実験で先生がメダカを飼い始めたときには「先生、その飼い方じゃダメだよ」なんてナマイキ言うような子どもでした。

■どっぷりと「魚」にハマった生物部時代。

中学・高校では生物部に入部。
・生物室に水槽を置かせてもらったり、
・春の磯で生物採集をしたり、
・合宿と称して三宅島や小笠原に遠征したり。

そして何より、1学年上に自分よりはるかに魚に詳しい先輩がいたこと。今でも自分が「魚好き」でいる原点は、間違いなくこの先輩との出会いでした。(後にカメラに興味を持つきっかけも、この先輩が深く関わっていたりします)

生物部の活動日は週2日だけでしたが、それ以外の日も毎日のように放課後は生物室に入り浸って、水槽をいじったり魚関係の本を眺めたり。時には魚好きな部員同士で連れだって、放課後に都内の水族館に行ったり、なんてことも。

■「魚を飼うプロ」になりたい!

そんな生物部員にとって、年に1回の晴れ舞台。それは文化祭でした。

日常的な水槽いじりも当然楽しいのですが、磯採集した生物のタッチプールを作ったり、観察しやすいようにレイアウトを工夫したり…。「水槽を展示し、来客者に解説すること」の楽しさは格別でした!

そして漠然と「いつか、魚を飼うプロになりたい!」と思うように。
それって水族館の飼育員なのか、アクアショップの店員なのか、はたまた海洋研究者なのか、何のことだったのか、自分でもよく分かんないんですけどね(笑)

そんなこんなで(浪人生活をはさみつつ)某大学の水産系学部に進学。

・半月間の洋上実習で、調査船にカンヅメになったり。
・「ウミガメの調査」と称して、小笠原・父島に1ヶ月間住み込んだり。
・冬の河口の魚類調査で船から落ち、ライフジャケットの必要性を身をもって証明したり。

大学では生き物以外の趣味も広げようと、サイクリングサークルに入ったり、クラスメイトと飲み会や麻雀に明け暮れたりもしていたので、中学・高校の生物部時代と比べてどっちが「サカナ漬け」だったのかは、正直微妙。
でも、それまでよりずっと専門性の高いステージで魚や生き物と関わることができた。

特に、大学を1年留年した結果(汗)経験できた、某水族館での飼育バイト。あの日々は、絶対に忘れない。今でもときどき夢に見ます。

■「魚が好き」。これからもずっと。

修士課程終了後、フツーに就職してフツーに社会人してます。大学院での2年間の研究生活、楽しいコトばかりじゃなかったんだよなー(遠い目)。
「魚オタク」は趣味の世界だけでいいや、と思って選んだこの道。

2011年の東日本大震災で「もう魚を飼うのは辞めよう」と思ったこともあったけど、結局1年後に、我慢できなくなって再開。現在は淡水水槽5本+爬虫類・両生類3ケースで、My Aquariumを満喫中。

「自宅で魚を飼う」「全国の水族館を巡る」という趣味は、これからもずっと続けていくんだと思っています。

社会人生活ももうすぐ10年、いろんなことに少しずつ、自分の中で折り合いがついてきたような気がしてて、そんなことも、今回このHPを立ち上げた理由なのかもしれません。

……長々と自分ガタリ、失礼しました!(笑)

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写真素材のピクスタ

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